住職の小話

2022.10.18

私の願いと仏の願い

 私の願い

いつまでも長生きしたいですねぇ」、「でも歳はとりたくないですねぇ」、ご年配の方からよく耳にする言葉です。ほとんどの方がそう願っておられる。でも、よく考えると、歳をとらずに長生きするなんて、どうやっても不可能ですよね。それなのに私たちは別々に「長生きしたいですね~」と言われると「うんうん」とうなずき、「歳はとりたくないですよね~」と言われても「うんうん」と共感しています。よく考えれば矛盾していることなのに、何の矛盾も感じないで「そうだそうだ」と思っています。そして、この実現不可能な願いを持つせいで、自分の人生に落胆したり、絶望したりしているのだということに、私たちはなかなか気づくことが出来ません。

 

 お経には「一切皆苦」「欲が苦を生む」と、説かれてありますが、自分の苦しみのほとんどは、自分の欲望が作っているという教えです。欲がかなわないから苦しみを感じるのであって、欲がなければ、かなわないことは苦しみにはならないのです。当たり前のことなのに、なかなか当たり前と思えないところに、私たちの迷いの姿があるようです。

 

 親しい人との別れもおなじです。自分の命も相手の命も、明日生きている保証はどこにもないはずなのに、今いきていることや一緒に居られることが当たり前と思っていては、いざ別れなければならない時には、大きな苦しみを感じるのです。

 

仏の願い

そんな私たちが、迷うことなく、人生に絶望することなく生きていける願いがあるとすれば、それは阿弥陀如来様のご本願という願いの中に生きる以外にないように思います。

 「あなたのいのちを私にまかせてください。私はすでにあなたのいのちを包みこんでいます。いつでもあなたのそばで、そのいのちを育んでいます。必ずあなたを苦しみの無い、仏さまという本当の幸せに導いてみせます。そうすればあなたの人生は決して絶望に終わっていく人生にはなりません」と、力強くよび続けていてくださるのが如来様のご本願です。

  悲しいことや苦しいこともあった、恥ずかしいことや情けないこともあった。でも如来様のご本願の中で、生きて良し、死んで良し。良いことが出来ればいいけれども、出来なくてもよし。何があろうと如来様がそばにいてくださるのだと、しっかり受け取ることが出来た時に、絶望の無い人生を頼もしさの中に精一杯生き抜いていけるのではないでしょうか。 

 

                   合 掌